夕飯が香る路地裏から
小さい頃、親に連れられていろいろな町を歩いた。地元の県よりも東京の街の方が良く知っていたのもこれが影響している。
親、というか母親なのだけれど、歩くのが好きで、気づいたら夜になっていてることはいつものことだった。大抵、そういう時は夕飯時で、住宅街を抜けるときはおいしそうな香りと台所からの音が聞こえた。どこかさみしいような気持ちを抱きながら母の背中を追ってひたすら歩く。いまにしてみれば、この時からうすうす考えていたんだと思う。
歩くということは目的地がある。夕飯の香りと台所の音を体で感じ、ついには自分の家に着く。疲れた足と、母が用意する夕飯。
さっきまで感じていたさみしさはどこかへ行ってしまう。
もし、これが一人なら?
あれから10年以上が過ぎた。時々感じるさみしさの正体はまだわからない。今日もどこかで夕飯が作られ、それをかいくぐって歩いていく人がいる。孤独に幸あれ。