へいこうな毎日!

理系学生がつづる日々のこと。化学や教育、ゲーム音楽に興味あり

家事手伝いって大切だって改めて思った実験生活

小さいころの労働、ほとんどが手伝いと言われるものはどこか「社会に出る前の一歩」といった扱いだと思う。それを理解していなくても、達成感や褒められることが動機付けになるのが家事手伝い。

 

ある意味では卒業を賭けて行う研究、右も左もわからないといったら不勉強が過ぎるかもしれない。器具の扱いや試薬の処理は種類ごとに存在するため、把握しきれていない。むしろ、考えながら自分で見つけていくスタイルが適しているのかもしれない。先日のエントリーでも書いたが、そういった作業にはとことん向いていない。器具の洗浄をして思ったのが、これはもしかしたら家事手伝いをあまりやってこなかったことが原因なのではということ。

 

一から説明されなくてもある程度行動ができるのは、多くの場合前提知識(常識)を共有しているからだと思う。私は小さいころでも家事手伝いをあまり経験できなかった。家事を担当する母はあまり手伝いをさせることがなかった。基本的に「できる」母だったが、分担まで頭は回っていないように思える。確かに手伝いをしたこともあるが「私以外は家事があまりできない」という考えを持っているらしい。

 

一人暮らしにあこがれる理由は人それぞれだが、私の場合「自分で管理する空間の拡大」。一人でできるようになったことは大抵の場合楽しい。別のエントリーであるが、その中で自分の興味を主体に自由に動けることに楽しさを覚えた、という趣旨のことを書いた。私にとっての「自分探し」は、どちらかと言えば「他人排除」に近いと思う。家事手伝いの次は部屋の管理そしてお金の工面というあたかも出世魚のように成長するのが一般的な家庭教育だと考えるが、それも「自分の管理する空間」また「自己責任の拡大」が伴っている。

 

どうも研究生活はこの成長を遂げていない自分からすると前提知識が共有できていない、疎外感を感じることが多い。家事手伝いがあれば免れていたのかはわからない、責任転嫁かもしれない。ただ、自分に足りないことの1つだと思う。